よいお年を [日々の雑記帳]
今年も無事に1年過ごせました。
感謝です。
今年は色々、忙しかったけど、周りの方々のお陰で充実した1年でした。
家族もみんな明るく元気に過ごせてます。
来年もマイペースで、頑張ります?
皆さん、よいお年を?
今年最後の慰問 [歌Life]
今日の慰問の様子です。
今回は年末最後と言うことで改めて”母”と”冬”をテーマに楽曲選曲しました。
一年の終わりにこれまどを振り返って、母に対する感謝の気持ち、廼ち、すべてに対する感謝の気持ちを歌ってみました。
「心の真んなか母がいる」「瞼の母」
もうひとつ今の季節だからこそ、津軽とタイトルのついた”津軽のふるさと””津軽恋女”の2曲。
懐かしいところで”イヨマンテの夜”、夏の慰問でうまくいかなかった”無法松の一生”をリベンジで。
みなさんと来年も上を向いて楽しくいきましょう!と”上を向いて歩こう”
リクエストのあった”横濱の踊り子”
ラストはいつものように「君の住む町で」で締めくくりました。
みなさん、ありがとうございました!!
来年も精一杯、歌いますよ~^^
今回は年末最後と言うことで改めて”母”と”冬”をテーマに楽曲選曲しました。
一年の終わりにこれまどを振り返って、母に対する感謝の気持ち、廼ち、すべてに対する感謝の気持ちを歌ってみました。
「心の真んなか母がいる」「瞼の母」
もうひとつ今の季節だからこそ、津軽とタイトルのついた”津軽のふるさと””津軽恋女”の2曲。
懐かしいところで”イヨマンテの夜”、夏の慰問でうまくいかなかった”無法松の一生”をリベンジで。
みなさんと来年も上を向いて楽しくいきましょう!と”上を向いて歩こう”
リクエストのあった”横濱の踊り子”
ラストはいつものように「君の住む町で」で締めくくりました。
みなさん、ありがとうございました!!
来年も精一杯、歌いますよ~^^
今年もあと2週間 [今、想うこと]
今年もあと2週間。
早いですね~
僕のこのブログも最近では歌一色となっていますが、ここ4年くらいでこんなにも忙しくなるとは思いませんでした。
最初の頃は年に3回くらい発表会で歌い慰問が年4回くらいだったのが、今年に至っては毎月3つくらいは歌うことがあり、大会優勝のこともありその数が去年の倍くらいになりましたから。
思えば本当に感謝の連続の一年でした。
歌が好きな者にとって、歌える環境があるというのは、ありがたい以上の事ですから。
そして「元気になった」「何度聞いてもいい」というお言葉がまた感謝です。
決して、慢心することなくこれからも謙虚に喜んでいただける方々のため、歌に磨きをかけられるよう頑張ります。
でも、歌える事で人間関係が好転したり、色んな事を経験してきましたが、今から9年前40の時「やっぱり真剣に歌をやりたい!」と心に決めてここまで来ましたが、やっぱりあの時始めて良かった!と今は思います。プロへの夢を諦め、もう真剣に歌を歌うことはないと思っていた30代半ば。
でも、40歳の頃もし「今更」という言葉が頭にあったら今のような人生はなかったと思います。
42歳で母を送り、周りから「これからが本当の自分の人生だぞ」と言われ、そこから大会などへ応募し始めました。最初は全然でしたが、コツコツやってきた事が、昨年北川大介コンテストで最優秀賞といった形で報われ、長年の夢だった全国大会への出場も果たし、なんでも諦めず頑張ってればいつか花が咲くんだと改めて思いました。
ただ、いつも歌う時、思うのは父と母が、そしてご先祖様が見守ってくれてるんだなあと凄く感じます。
うちの父は僕が歌う事をとてもよろこんでくれていたので、今、こうして歌っている僕を笑みを浮かべながら聞いてくれているんだろうなと感謝の気持ちでいっぱいです。
慰問先に行くと父や母と世代が近い方も多くいらしてなんとなく面影をタブらせならが歌うこともあります。そんな感じでつい「ふるさと」を連想させる選曲が多いのかも。
これからも、もっともっと、よろこんでいただけるように頑張りますよ!!
このブログをご覧の方々も、今度ともよろしくお願い致します。
早いですね~
僕のこのブログも最近では歌一色となっていますが、ここ4年くらいでこんなにも忙しくなるとは思いませんでした。
最初の頃は年に3回くらい発表会で歌い慰問が年4回くらいだったのが、今年に至っては毎月3つくらいは歌うことがあり、大会優勝のこともありその数が去年の倍くらいになりましたから。
思えば本当に感謝の連続の一年でした。
歌が好きな者にとって、歌える環境があるというのは、ありがたい以上の事ですから。
そして「元気になった」「何度聞いてもいい」というお言葉がまた感謝です。
決して、慢心することなくこれからも謙虚に喜んでいただける方々のため、歌に磨きをかけられるよう頑張ります。
でも、歌える事で人間関係が好転したり、色んな事を経験してきましたが、今から9年前40の時「やっぱり真剣に歌をやりたい!」と心に決めてここまで来ましたが、やっぱりあの時始めて良かった!と今は思います。プロへの夢を諦め、もう真剣に歌を歌うことはないと思っていた30代半ば。
でも、40歳の頃もし「今更」という言葉が頭にあったら今のような人生はなかったと思います。
42歳で母を送り、周りから「これからが本当の自分の人生だぞ」と言われ、そこから大会などへ応募し始めました。最初は全然でしたが、コツコツやってきた事が、昨年北川大介コンテストで最優秀賞といった形で報われ、長年の夢だった全国大会への出場も果たし、なんでも諦めず頑張ってればいつか花が咲くんだと改めて思いました。
ただ、いつも歌う時、思うのは父と母が、そしてご先祖様が見守ってくれてるんだなあと凄く感じます。
うちの父は僕が歌う事をとてもよろこんでくれていたので、今、こうして歌っている僕を笑みを浮かべながら聞いてくれているんだろうなと感謝の気持ちでいっぱいです。
慰問先に行くと父や母と世代が近い方も多くいらしてなんとなく面影をタブらせならが歌うこともあります。そんな感じでつい「ふるさと」を連想させる選曲が多いのかも。
これからも、もっともっと、よろこんでいただけるように頑張りますよ!!
このブログをご覧の方々も、今度ともよろしくお願い致します。